一日目 5月12日(土)晴れ  60963歩

自宅4:40…瀬田唐橋5:03…膳所公園5:40…浜大津港6:35…7:25唐崎神社7:35…雄琴温泉8:40…浮御堂9:38…10:00琵琶湖大橋10:30…和邇平和堂.靴下を買う…蓬莱浜12:13…13:00志賀駅前.清林で昼食13:30…比良駅14:10…近江舞子駅14:50…北小松水泳場・テント泊


唐橋の夜明け
唐橋の夜明け

 4時40分。さぁ出発だ!ドアを開けると東の空に三日月が輝いている。夜明け前の薄明るい道を唐橋まで歩く。期待と不安が交差しているが高鳴りを覚える。スタートラインの瀬田唐橋を渡ると西詰で日の出を迎える。唐橋は「急がば回れ」の諺の発祥地だ。川沿いを北へ向かう。一羽のアオサギが衛兵の様にスッと立っている。粟津の晴嵐を過ぎると膳所城跡に着く。中ほどに三等三角点があるのに初めて気が付いた。古い石垣が残り桜の時期に何度も花見をした場所だ。近江大橋を潜ると明るい湖岸を歩く。早朝からウォーキングや釣りをしている人達がいる。36階建てのホテルを過ぎ、なぎさ公園を歩く。この辺りは50数年前に埋め立てられ大阪万博のプレ博と銘打って琵琶湖大博覧会が開催された場所である。びわ湖ホールを過ぎると古い常夜灯。その先に琵琶湖文化会館が見える。常夜灯は大津警察署と平野消防分団の間に在ったのを200m程琵琶湖側に移築したものだ。その昔、常夜灯の建っていた場所は石場の港があり旧東海道の街道沿いで其処まで湖岸だった。この辺りは八月に開催の、びわこ大花火大会では30万人の観客で一杯になる所である。

ミシガン・ビアンカ・奥に「うみのこ」
ミシガン・ビアンカ・奥に「うみのこ」

琵琶湖文化館には地下プールがあり小学生の頃よく利用したものだ。しかし、とても寒かったのを覚えている。浜大津港にはミシガンやビアンカ。今年、新船に変わる「うみのこ」が係留されている。20数年前までは「はり丸」が一番大きな船だったが引退し今はビアンカに変わっている。「うみのこ」は毎年、県下の小学生が湖上で一泊体験学習をしているのだ。ずっと浜辺を歩いて来て気持ち良かったが、この先殆んど161号線を歩く事になる。琵琶湖疏水の橋を渡り競艇場を過ぎると右手側には白く真新しいマンションが林立し少し興醒めである。

浮御堂
浮御堂

 見上げる比叡の山並みは緑が濃くなり綺麗だ。自衛隊大津駐屯地横を過ぎると程なく唐崎神社に着く。先日、神木の松が枯れて来ていて新しく苗木を植えたとニュースで言っていた。大きく横に張り出した松が素晴らしい。ベンチに腰を掛け入口のコンビニで買った”おにぎり”を口に入れる。下阪本で右の旧街道に入り暫らく静かな街道歩きを楽しむ。神社やお寺が多くある。カネカの工場前を通ると161号に出る。浄水場を過ぎ雄琴に入る。汗が噴き出し暑いので道端の日陰で一服。風がほしい!温泉街を通り大きく左にカーブし進むと天神川の橋を渡る。と直ぐの信号を右に折れ堅田高校の前を通り浮御堂まで直進する。湖面に張り出す姿は不思議な感じがする。本堅田の街道は湖西線が出来るまでは人通りも多く賑やかだったと聞く。民家の壁は長年の風雨で色褪せ路地の様に曲がりくねった街道は時代を感じさせるものである。琵琶湖哀歌の碑があったのだが見落としてしまった。”遠くかすむは彦根城”で始まる歌のメロディは”真白き富士の嶺”と同じようだった記憶があるが?その集落の細い道を過ぎると琵琶湖大橋が見えて来る。真新しい道を進み琵琶湖大橋を潜りびわこ米プラザで休憩する。5時間で歩いてきた。ベンチに腰を下ろし”おにぎり”を食べる。もう靴擦れで足の小指が痛い。

米プラザから琵琶湖大橋
米プラザから琵琶湖大橋

まだまだ先が長いので腰を上げ161号を北上する。小野駅(かなり高い場所にある)を過ぎ和邇の平和堂で靴下を買う。蓬莱でJRの高架下を潜り蓬莱浜に出た所で大の字になり少し身体を休める。暑いと言っても木陰は気持ちが良い。春には桜並木になる湖岸の道を志賀へ。駅前の清林(比良登山の帰りに何時も寄る)で「きつね」うどんを食べる。未だ1時。明日は天気が下り坂の様なので先へ進む。近江舞子まではJRの高架下を歩く。そのまま進むと危うく成蹊スポーツ大学に入りそうになる。舞子から高架を離れ湖岸方向へ少し進むと、唐橋から40kmポストがあった。北小松の小松浜に着く。テント代1000円。対岸には沖島と長命寺の山並みが見える。日が落ちると沖島の灯りが波間に揺れていた。初日、あまりに歩き過ぎ7時には寝てしまう。